第 171 回例会講演要旨

下面ビール酵母の遺伝子発現解析へのショットガン DNA マイクロアレイ技術の応用

小林 直之
サッポロビール(株)価値創造フロンティア研究所 先端技術開発グループ

 DNAマイクロアレイは、全ゲノム配列が明らかとなっている生物において、全遺伝子の発現解析を行なうことができる最新技術である。ここ数年種々の生物の遺伝子発現解析に利用されており、最近では醸造用酵母への応用例も幾つか報告されている。ビール醸造において使用するラガー酵母(下面発酵酵母)Saccharomyces pastorianus は、Saccharomyces cerevisiaeSaccharomyces bayanus の染色体から構成される倍数体であり、複雑な遺伝的背景を持つことが知られている。従って、ゲノムシークエンス後にラガー酵母の DNA マイクロアレイを作製する場合、ある特定の遺伝子セットの機能解析が目的でも高価で時間のかかるものと予想された。我々は下面ビール酵母の遺伝子発現解析に、次のようなショットガン DNA マイクロアレイ技術を応用した。

 さらに、得られた遺伝子発現情報と発酵中の酵母が生成する重要な香気成分との関係を知るために、発酵工程中の発酵液と製品ビールに含まれる 80 以上の香気成分をガスクロマトグラフィーで分析した。これらの香気成分分析データから、製品ビールの官能評価と関連性の高い香気成分を選定した。選定された香気成分生成に鍵となる遺伝子をショットガン DNA マイクロアレイの解析データから推定した。このアプローチによって製品ビール中の特徴のあるフレーバー生成に寄与する重要な遺伝子を見出すことが可能となった。


酵母ゲノムワイド DNA マーカーの開発とカプロン酸生産性のQTL解析

浪瀬 政宏
月桂冠株式会社 総合研究所

 出芽酵母 Saccharomyces cerevisiae は産業微生物として重要な微生物の一つである。実用酵母は、その用途に適した実用形質を兼ね備えている。その中で原因遺伝子がクローニングされ分子生物学的に解明されてきているものもあるが、それらはモノジェニックな形質に限定される。実用形質には醗酵力、エタノール生成能、アルコール耐性に代表されるようにポリジェニックな量的形質が少なくない。量的形質は選抜育種によって劇的に改変しうることが家畜や植物の育種で実証されている。出芽酵母も有性生殖の生活環を有し、さらに、種内に遺伝的多様性があることから選抜育種の適用が原理的には可能である。しかし、実用酵母の胞子生存率は著しく低く、さらに、分子マーカーが整備されていないため、選抜育種を行うのは非効率的で優良形質を損なうリスクの方が大きい。そこで、量的形質の解析と酵母育種への全ゲノム選抜の導入を目的としてゲノムワイドな DNA マーカーの開発を行った。

酵母DNAマーカーの開発とその遺伝

 清酒酵母協会 7 号の部分ゲノム配列と実験室酵母 S288C のゲノム配列を比較し、マイクロサテライト多型ならびに挿入欠失型多型を示す約 400 箇所の遺伝子座を特定した。この情報をもとに PCR ベースのマーカーとしては酵母では初めてゲノムワイドな DNA マーカーを開発した。清酒酵母と実験室酵母のゲノム構造には違いがあることが報告されているが、清酒酵母と実験室酵母間の交雑では生殖的隔離はみられず、清酒酵母の胞子生存率の悪さが相補されることがわかった。DNA マーカーは、交雑株の減数分裂において 3 番染色体と 12 番染色体の一部で異常分離を示したが、その他の DNA マーカーは正常でマッピングに活用しうることがわかった。また、3 番染色体における DNA マーカーの異常分離は、染色体の異数性が原因であることもわかった。

カプロン酸生産性の QTL 解析

 カプロン酸エチルは、清酒の吟醸香の主要な成分であり、その生成量は前駆体であるカプロン酸濃度に依存している。酵母のカプロン酸生成能はセルレニン耐性 FAS2 変異によって向上することが知られているが、セルレニン耐性株のカプロン酸生産性が遺伝的背景によって異なることを見出した。このことは FAS2 依存的に働く別の因子の存在を示唆している。遺伝解析の結果、酵母のカプロン酸生産性は FAS2 依存的な量的形質であり、DNA マーカーを用いたマッピングにより、1 番染色体、5 番染色体ならびに 11 番染色体に QTL(quantitative trait loci)が存在することが示唆された。さらに、11 番染色体の QTL について解析した結果、FAS1 内に QTN(quantitative trait nucleotide)の一つを見出した。この QTN は、酵母では保存性の高い領域にあり、協会 2 号を除く清酒酵母にユニークな SNP であることがわかった。

 本研究は独立行政法人酒類総合研究所との共同研究として行われた。


翻訳を介したmRNA品質管理の分子機構と役割

稲田 利文
名古屋大学理学研究科生命理学専攻、科学技術振興機構・さきがけ

 遺伝情報を正確に発現する為に、細胞は mRNA の品質を厳密に監視して不良品を速やかに除去する機構を保持している。遺伝性疾患の多くに認められるナンセンス変異を保持する mRNA は、ヒトから酵母まで普遍的に存在する分解系(NMD)により分解される。この NMD におけるスプライシグの必須な役割や、新しい分解機構の存在が明らかになった。さらに最近、終止コドンを含まない mRNA を識別し分解する系(NSD)も発見されている。これらの mRNA 品質管理機構における翻訳の新たな機能を中心に紹介したい。


ミトコンドリアは芽へどのようにして入るのか −出芽酵母のミトコンドリア相続機構−

松井 泰
東京大学理学系研究科生物科学専攻

 ミトコンドリアは、エネルギー産生のみならず脂質合成など細胞になくてはならない機能を担当するオルガネラである。そして、ミトコンドリアはミトコンドリア自身から複製されることによってのみ生成されるため、ミトコンドリアの娘細胞への分配は、核の分配と同様に細胞にとって必須なプロセスである。核(染色体)を正確に分配する機構の解明は著しいものがあるが、ミトコンドリアの分配機構に関しては、分子レベルで全体像が明確になっているとはいえない。そして、老化や細胞の生死などとのミトコンドリア機能の関連は、昨今話題となっているところでもあるが、はたして、老化因子と目されている障害をうけているミトコンドリアを排除するような分配機構があるのかどうかすらもまったく不明である。われわれは、出芽酵母の娘細胞(芽)へのミトコンドリア分配を担うものとしてクラス V ミオシンである Myo2 を発見し、この Myo2 によるミトコンドリア分配機構を分子レベルで明らかにしようとしている。この研究の最近の知見を御紹介したい。


イムノバイオティクスからの新規免疫刺激性 DNA の発見と分子免疫評価システムの構築

北澤春樹
東北大学大学院農学研究科 生物産業創成科学専攻 食品機能健康科学講座

 プロバイオティクスを用いた生理機能性食品は,特定保健用食品としても早くより認可され,健康ブームの追い風を受け食品業界の革命的存在となった.現在までに知られているその機能と有効性は多岐に渡り,予防医学の観点からさらに発展することが期待されている.近年,プロバイオティクスの中でもとくに腸管免疫調節作用を有するものを“イムノバイオティクス”とする新しい概念が提唱されたが,活性成分の同定とその分子免疫評価システムが課題となり,未だ免疫機能を訴求した特定保健用食品の創製には至っていない.我々はこれまで,食品の有する腸管免疫調節作用に視点をおき,イムノバイオティクスが発揮する免疫調節作用について研究してきた.本演題では,イムノバイオティクスに由来する新規免疫調節因子(“イムノジェニックス”)の発見から,その特異的受容体を介するヒトモデルの新たな分子免疫評価系の提案について紹介したい.


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