第 175 回例会講演要旨

酸耐性酵母の分子育種工学
−カーボンニュートラルバイオテクノロジーに向けて−

杉山 峰崇
大阪大学大学院 工学研究科 生命先端工学専攻

【背景】

 近年の様々な環境・経済問題により、化石燃料に依存した CO2 排出型社会から CO2 循環型社会(カーボンニュートラル)への転換が急務となっている。植物由来のポリ乳酸プラスチックはその取り組みの一つであるが、さらなる普及を目指すためにはコスト削減が必須である。コスト削減のため生産に使用する菌株へ酸耐性を付与し、非中和条件で生産させることが提案されている。しかし、効果的な酸耐性付与機構はほとんど明らかになっていない。出芽酵母は比較的酸耐性を示すことから酵母を用いた乳酸発酵が検討されている。我々は酵母の酸ストレス耐性の分子基盤を明らかにし、さらなる耐性付与や他の微生物にも広く応用可能な耐性付与機構を開発したいと考えている。本発表では、カーボンニュートラルバイオテクノロジーへ向けて我々が取り組んでいる出芽酵母を用いた酸ストレス耐性の分子基盤の解析と酸耐性酵母の分子育種について話題を提供したい。


パン生地中のパン酵母の 3 次元可視化

前田竜郎
(株)日清製粉グループ本社基礎研

【緒言】

 製パンのミキシングプロセスは,パン風味とテクスチャーなどのパンの品質に大きな影響を及ぼすことから製パンにおいて最も重要な工程である。パン生地の発酵ではパン酵母をより均一に分散させることは,発酵プロセスを安定させ,均一な発酵を得るため必要とされている。しかしながら、これまでにパン生地のミキシングにおけるパン生地中のパン酵母の分散状態を把握した事例はない。本研究の目的は、パン生地中に分布しているパン酵母を 3 次元的に可視化する手法を開発して、さらにパン酵母間の距離を計測して分散性について検討した。

【実験方法】

パン生地調製:

 パン生地は標準的な材料配合により、縦型ミキサーを用い作製した。今回パン酵母は細胞表層に変異型緑色蛍光タンパク質(Enhanced Green Fluorescent Protein: EGFP)を発現させた EGFP パン酵母に置き換えてパン生地に配合した。主要なミキシング段階 (捏ね不足状態:ピックアップ、クリーンナップ、最適状態:ファイナル、過剰状態:オーバーミキシング) で生地をミキサーから取り出し瞬間凍結させた。

パン酵母の可視化と酵母間距離の計測方法;

 生地は大型ミクロトームにより厚さ 1μm で連続的に切削し、その切削断面を CCD カメラ付き蛍光顕微鏡(励起波長 460〜490 nm,蛍光波長 520nm)で連続的に撮像した。撮像したデジタル画像(300 um × 300 um)はパン生地由来の自家蛍光を除去して、パン酵母だけを取り出すため 2 値化処理を行った。そして、ボリュームレンダリング手法により 3 次元像を再構築した。得られた 3 次元像の空間上に存在する個々のパン酵母に対して,それぞれ異なった疑似カラーを付けて可視化を行った。さらに酵母間の最短重心間距離を計測して、分散性の評価を行った(n = 10)。

【結果】

 パン酵母の生地中での分散性は、ピックアップ段階では,均等に分散せず,局在化した部分が多く見られた。クリーンアップ段階では、一部局在化した部分があるものの、より均等な分散が見られた。ファイナルでは,全工程中で最もパン酵母が均等に分散していることが分かった。しかし、オーバーミキシング段階では、再びパン酵母の局在化が観察された。この原因として、過剰ミキシングによりグルテンが薄膜化したためネットワーク構造が脆弱化・破壊され、再びパン酵母の不均一性が生じたものと推定された。

【結論】

 パン酵母の分散挙動についてイメージング技術を活用して検討した。パン生地中のパン酵母の分散性は、細胞表層工学技術を応用した EGFP パン酵母、連続スライサー装置、CCD 蛍光顕微鏡、ボリュームレンダリング法を組み合わせることで、パン生地中に分布している数μm のパン酵母を 3 次元的に可視化する手法が確立できた。従来法とは異なり試料内部全体の位置情報を 3 次元的に再構築することで、内部構造も含めたアニメーションを使った可視化・計測が可能となった。

 パン職人がこれまでに製パン工程で経験的に感じている現象を可視化・数値化することは、職人の技の伝承、製パンプロセスの解明に役立つと考えられる。

 以上


ビール・ワインの品質保証の為の酵母の検出・識別法

林 伸之
キリンビール(株)技術開発部醸造研究所

 ビール、ワイン等の酒類の製造において、使用する酵母の確認、工程中の微生物フローラの管理及び製品の品質保証の為に、高感度な検出と正確な識別が出来る微生物検査法が望まれている。近年、分子生物学的な微生物検出・識別法として、LAMP 法と言う新しい遺伝子増幅技術が開発された。この手法は、等温で反応が進む、特異性が高い、短時間に増幅が可能、反応溶液の濁度で判定が可能等の特徴を有している。そこで我々は LAMP 法をビールやワインにおける各種汚染微生物検出・識別法へ応用することを検討した。

 ビール、ワイン製造において Dekkera 属酵母は風味の変化や混濁の原因菌として知られている。そこで我々は ITS 領域の塩基配列を元に Dekkera 属酵母 4 菌種(Dekkera anomalaD. bruxellensisD. custersianaBrettanomyces naardenensis)をそれぞれ特異的に検出する LAMP 法プライマーセットを開発した。これらのプライマーセットを用いて LAMP 反応を行ったところ、ビール、ワイン、清涼飲料水等の様々な飲料由来の Dekkera 属酵母から標的遺伝子領域を増幅することができ、また検出対象の菌種以外の酵母から特異的に識別することができた。

 一方アルコール飲料製造に関わる酵母としては S. cerevisiaeS. pastorianusS. bayanus のような Saccharomyces 属酵母が広く用いられている。製造に使用する菌種の確認は重要であると共に、これらはろ過工程以降において汚染菌として扱われるため対策が必要である。しかしこれらの酵母は表現型が似ていることから識別が困難であった。この中で S. pastorianusS. cerevisiaeS. bayanus の自然融合体であると推察されている。S. pastorianus のゲノムでは Sc タイプ(S. cerevisiae 由来)と Lg タイプ(S. bayanus 由来と推察される)のいくつかの染色体間で組換えが起こっていることが確認された。そこでこのような構造は S. pastorianus に特異的であると考え、この知見を応用して S. cerevisiaeS. pastorianusS. bayanus のそれぞれの菌種識別が可能な遺伝子領域を選定した。これらの遺伝子領域を検出する LAMP プライマーを開発したところ、標的とする菌種をそれ以外の Saccharomyces 属酵母などから識別することができた。

 また、これらのプライマーセットを使った LAMP 法では、標的の酵母を高感度に検出できた。また、ワインやビールに Saccharomyces 属酵母を多量に懸濁した場合でも、混在した少量の標的の酵母を特異的に検出できた。これらの結果から、LAMP 法による酵母の検出・識別技術は、製造工程管理、最終製品の検査に有用であると考えられた

 また、アルコール飲料製造においては、同じ菌種内の異なる菌株を使い分けることがあるが、この菌株間の識別法についても弊社で開発した技術を紹介する。


酵母を利用する低分子阻害物質スクリーニングおよび作用機構研究

宮川都吉
広島大学先端物質科学研究科

 モデル真核細胞酵母(Saccharomyces cerevisiae)は、生命のメカニズムが最も詳細に解明された生物である。生命の維持と継承に重要な細胞の基本機能の多くは、酵母から高等生物に至るまで高度に保存されている。また、低分子阻害物質とその作用標的の関係は生物種を越え良く保存されていることが知られ、酵母に作用する薬剤は動物細胞でも類似の機構によって作用している可能性が高いと考えられる。これらの特徴によって、酵母は医薬シーズのスクリーニングや薬剤作用機序の解析に格好のツールといえる。

 Ca2+シグナル活性化による増殖制御を研究する過程で見出した酵母の特異な表現型を利用し、この機構に作用する低分子阻害物質のユニークな選抜法(ポジティブスクリーニング)を考案、スクリーニングを実施している。この経路には、カルシニューリン、プロテインキナーゼ C,GSK-3 ファミリープロテインキナーゼ、MAP キナーゼカスケードの酵素など、医薬の標的として興味深い分子が多く含まれるので、これらの分子に対する阻害物質を見出せる可能性がある。私たちはこの方法によりスクリーニングを実施し、ヒット化合物をいくつか見出すと共に、経路の変異株等を利用して作用点を明らかにした。

 また、これとは別に、遺伝学的手法により酵母の増殖を阻害する低分子阻害物質の作用標的を同定する方法を確立した。この方法によれば、まず多剤耐性に関係する各種遺伝子の破壊株を親として、当該薬剤に耐性を示す酵母変異株を多数取得し、耐性変異の遺伝学的解析により、標的分子における変異と予想される株を絞り込み、続いてその責任遺伝子のクローニングを行う。この方法で、いくつかの薬剤で標的分子を同定することに成功している。

 これらの、酵母の表現型を利用するケミカルバイオロジーについてお話ししたい。


分裂酵母の細胞質分裂のしくみ

馬渕一誠
学習院大学理学部化学科・生命分子科学研究所

 出芽酵母も分裂酵母も細胞質分裂の際には分裂位置にアクチンフィラメントを主体とする「収縮環」を形成する。分裂酵母の場合は動物細胞の細胞質分裂との共通点が多く、動物細胞の分裂の優れたモデル系となっている。これまでいくつかの Cdc 変異株をはじめとする細胞質分裂変異株がとられ、遺伝学的研究が行われてきた。私たちは分子遺伝学、蛍光顕微鏡、電子顕微鏡の利用により収縮環の形成に関する研究を行ってきたのでその結果を紹介したい。


新規アセチル化酵素Mpr1による抗酸化メカニズム

高木 博史
奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科

 酵母 Saccharomyces cerevisiae Σ1278b 株に見いだした遺伝子 MPR1(sigma 1278b gene for proline-analogue resistance)は、プロリンのアナログであるアゼチジン-2-カルボン酸(AZC)を解毒する N-アセチルトランスフェラーゼ Mpr1 をコードしている。AZC はタンパク質合成の際にプロリンと競合して取り込まれる。その結果、コンフォメーション異常のタンパク質が蓄積し、生育が阻害されるが、 MPR1 発現細胞では、AZC が細胞質でアセチル化され、新生タンパク質に取り込まれないため、AZC 耐性を獲得すると考えられる。ホモロジー検索や部位特異変異導入実験から、Mpr1 は N-アセチルトランスフェラーゼのスーパーファミリーに属し、アセチル CoA 結合モチーフやコンセンサス配列も保存されていた。MPR1 はゲノム解析に用いられた S. cerevisiae S288C 株には存在しないが、S. paradoxusSchizosaccharomyces pombe などの酵母にも同様の機能を有するホモログ遺伝子が存在する。また、最近では Kluyveromyces lactisCandida albicansAspergillus nidulansA. oryzae など多くの酵母やカビが MPR1 と相同性の高い DNA 配列を含んでいることがわかり、MPR1 は真核微生物に広く分布し、共通の祖先遺伝子に由来すると考えられる。

 ところが、AZC は自然界にほとんど存在しないため、Mpr1 の本来の基質であるとは考えにくい。では、なぜ酵母に Mpr1 が存在するのだろうか? 興味深いことに、Σ1278b 株の MPR1 を破壊すると過酸化水素や熱ショックで処理後の ROS レベルが増加し生存率も低下した。一方、S288C 株に MPR1 を導入すると、ROS レベルは減少し生存率も上昇した。したがって、Mpr1 は細胞内 ROS レベルを制御し、酵母を酸化ストレスから保護していると考えられた。また、ROS レベルの上昇が観察される冷凍-解凍処理、高濃度エタノール添加によっても同様の結果が得られ、実用酵母のストレス耐性への応用が期待できる。

 遺伝学的アプローチや組換え酵素の解析から、Mpr1 は AZC 以外にプロリン代謝中間体のΔ1-ピロリン-5-カルボン酸(P5C)/グルタミン酸-γ-セミアルデヒド(GSA)をアセチル化することが示された。P5C/GSA は細胞内 ROS レベルを増加させ、酸化ストレスを引き起こすが、Mpr1 は P5C/GSA をアセチル化し ROS レベルを制御していると考えられる。Mpr1 は既存の抗酸化酵素のように ROS に直接作用するのではなく、ROS 発生に関与する未知物質(AZC や P5C/GSA など窒素含有四員環化合物?)をミトコンドリアでアセチル化し、その結果、何らかの経路や機構により ROS 生成が抑えられるのではなかろうか? また、MPR1 は酸化ストレスでも誘導されず、構成的に発現しており、過酸化水素を解毒するカタラーゼやグルタチオンパーオキシダーゼの機能を補っている可能性が示された。


酵母 MAP キナーゼ経路の特異性維持機構

前田 達哉
東京大学分子細胞生物学研究所

 細胞内には構造のよく似た複数の MAP キナーゼ経路が存在するため、それらの間での情報の交錯(クロストーク)を防ぎ、経路ごとの特異性を確保する必要がある。このことは、複数の経路において同一のシグナリング分子が機能している場合にとりわけ重要である。

 酵母 Saccharomyces cerevisiae の浸透圧ストレス応答性 HOG 経路には、浸透圧ストレスを検知して Pbs2 MAPKK を活性化する上流経路として、Sln1 経路と Sho1 経路の 2 つが独立して存在する。この内、Sho1 経路は、HOG 経路に加え菌糸成長経路でも上流経路として機能しているにも関わらず、野生株では浸透圧ストレス刺激は前者のみを活性化し後者を活性化しない。これに対し、HOG 経路の MAPKK Pbs2 や MAPK Hog1 を破壊した株では、浸透圧ストレス刺激に応答して菌糸成長経路が活性化されるようになることから、Hog1 の活性に依存して菌糸成長経路の活性化を抑制する「経路相互抑制」がクロストークを抑えて経路間特異性を維持していると考えられている。しかしながら、この「経路相互抑制」は、原理的に Hog1 が十分に活性化されるまでは機能し得ないはずであるので、浸透圧ストレス刺激直後には別の機構がクロストークを抑えていると考えられる。

 我々は、主要なアクチン制御タンパク質 WASP の酵母ホモログである Las17 が、浸透圧ストレス刺激直後に一過的に Sho1 の細胞質領域の SH3 ドメインに結合することを見出した。Hog1 が十分に活性化されて「経路相互抑制」が確立するまでの間、この結合によって Sho1 の SH3 ドメインがマスクされ、Sho1 経路が下流の MAP キナーゼ経路を活性化できずクロストークが抑えられる。

 刺激直後に経路の活性化を抑制することは、「経路相互抑制」によって経路間特異性が維持されている場合に広く機能している可能性が考えられる。


第 175 回のページに戻る